大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

長崎地方裁判所 平成4年(ワ)604号 判決

原告

松元英雄

松元優子

右原告ら訴訟代理人弁護士

加藤達夫

岡崎信介

新宮浩平

被告

長崎県

右代表者知事

高田勇

被告

松浦剛

井上知紀

右被告ら訴訟代理人弁護士

木村憲正

俵正市

苅野年彦

草野功一

被告長崎県指定代理人

亀井守正

外一〇名

主文

一  被告長崎県は、原告各自に対し、金四五万二一五〇円及びこれに対する平成四年六月二五日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告らの被告長崎県に対するその余の請求並びに被告松浦剛及び被告井上知紀に対する請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は原告らの負担とする。

四  この判決は、主文第一項につき、仮に執行することができる。

事実及び理由

第一  請求

被告らは、それぞれ原告各自に対し、金三三〇八万六四四〇円及びこれに対する平成四年六月二五日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

本件は、原告らの長男である亡松元浩司(当時長崎県立壱岐高校一年生)が、平成四年六月に行われた同高校の合宿研修の場において、同高校の教諭である被告松浦剛及び同井上知紀の両名から暴行を受け、その八日後に死亡したことに基づき、原告らが右両名のほか被告長崎県に対し損害賠償を求めたという事案である。

第三  争いのない事実

一  当事者

原告松元英雄(以下「原告英雄」という。)は、亡松元浩司(昭和五一年八月二九日生、平成四年六月二四日死亡、以下「亡浩司」という。)の父、原告松元優子(以下「原告優子」という。)は、亡浩司の母である。亡浩司は、平成四年六月一六日当時、長崎県立壱岐高等学校(以下「壱岐高校」という。)の一年生であり、被告松浦剛(以下「被告松浦」という。)及び同井上知紀(以下「被告井上」という。)は、いずれも当時同校教諭の職にあった。また、被告長崎県(以下「被告県」という。)は、同校の設置管理者である。

二  本件学級合宿研修

壱岐高校は、平成四年六月一五日から同月一七日まで、同校セミナーハウス(以下、単に「セミナーハウス」という。)を利用して同校一年二組在籍の生徒を対象とする宿泊学習(以下「本件学級合宿研修」という。)を行い、同組の担任を勤める被告井上及び副担任の被告松浦の両名は指導監督者として、亡浩司は同組の在籍者として、それぞれ本件学級合宿研修に参加した。

三  被告井上及び同松浦の各暴行

亡浩司は、本件学級合宿研修の初日の晩にあたる同月一六日午前零時四〇分ころ、セミナーハウスの女子生徒宿泊室内にいることが発覚し、その後、被告井上が右女子生徒宿泊室において亡浩司の顔面を一回殴打し、同人をセミナーハウス廊下に出させ、さらにその後、被告松浦が右廊下において亡浩司の顔面を数回殴打する暴行を加えた(以下「本件各暴行」という。)。

四  亡浩司の負傷

亡浩司は、被告松浦が亡浩司に右暴行を加えた後、教師用の指導員室に移動する途中で廊下に倒れ、その際、顔面を強打し、よって、顎部挫創、左上第一小臼歯歯冠部破折、右上第一小臼歯歯冠部尖端一部破折等の傷害(以下「本件傷害」という。)を負った。

五  亡浩司の死亡

亡浩司は、同月二四日午後一一時ころ、長崎県壱岐郡諸吉仲触一六三五番地の自宅において、急性心不全により死亡した。

第四  本件の争点

本件の主たる争点は、被告松浦及び同井上による前記各暴行及びその後の対応と亡浩司の傷害又は死亡の結果との間に因果関係が存在するか否かにあるところ、右主たる争点及びこれに付随する争点等に関する各当事者の主張内容は、以下のとおりである。

一  原告らの主張

1  因果関係及び注意義務違反(重過失)について

(一) 亡浩司は、本件当時、身長約一七四センチメートル、体重約七四キログラムで体格がよく、地元の公立中学校在学時から高校入学後も陸上競技部で積極的に活動する健康な少年であった。

なお、原告らの近親者は、全て長命であり、亡浩司及び原告らを含めて心筋梗塞、狭心症その他心臓疾患の病歴を持った者はいない。

(二) 亡浩司は、平成四年六月一六日午前零時四〇分ころ、セミナーハウス女子宿泊室内にいるところを被告松浦に発見され、被告松浦がその旨、被告井上に報告し、その後、被告らは互いに意思を相通じた上、まず、被告井上が女子宿泊室内で亡浩司を一回殴打し、さらに廊下に出た亡浩司を被告松浦が多数回殴打する暴行を加え、そのため亡浩司は、一時的に意識を失い、足から崩れるようにして前方に転倒し、廊下の床に顔面、頭部を強打し、顎部挫創、左上第一小臼歯歯冠部破折、右上第一小臼歯歯冠部尖端一部破折等の傷害を負った。

亡浩司の本件傷害は、被告松浦及び同井上の本件各暴行並びに本件各暴行の際に被告らが亡浩司の不安及び驚愕による身体的変化を見過ごした注意義務違反(重過失)を原因として、亡浩司が激しい驚愕と不安による一次性ショックに陥り転倒したことに起因するものであって、てんかん発作や心疾患の持病に起因する不整脈による失神発作を原因とするものではない。よって、被告松浦及び同井上の各暴行及びこれに引き続く前記注意義務違反と亡浩司の傷害の結果との間には因果関係が認められる。

(三) 亡浩司は、平成四年六月一六日午前一時ころ、被告松浦及び同井上から暴行を受けた際、前記のとおり一次性ショックにより転倒した。その際、亡浩司は、顎部挫創等の傷害を負い、その治療を受けるため、同日午前七時三〇分ころに、被告松浦に連れられて壱岐公立病院に行き、同日午前八時過ぎころから治療を受けている。被告松浦及び同井上は、その際、本来、違法な体罰を生徒に加えた教師として、亡浩司の本件体罰及び傷害の影響によるあらゆる事態を想定し、亡浩司の治療に当たった隈本正司医師に対し、本件各暴行の内容、転倒時の状況、本件傷害の原因について十分説明をなし、医師と協議の上、亡浩司の身体的、精神的状況に十分配慮すべき注意義務を負うところ、医師に対するこれらの説明をなさず、その後も、亡浩司の身体的、精神的状況(深夜の女生徒の部屋にいたことを理由に体罰を受けたという精神的重圧は相当なものであったと考えられる。)その変化に対する配慮をなさなかったものである。そのため、亡浩司は、顎部を縫合する治療を受けたに止まり、てんかんの持病を前提とした治療を医師によって受けることのないまま、本件体罰による精神的重圧のなかでてんかんの発作を誘発して死亡したもので、本件各暴行に引き続いてなされた被告松浦及び同井上の各注意義務違反(重過失)と亡浩司の死の結果との間には、相当因果関係がある。

2  損害

(一) 亡浩司の損害

(1) 逸失利益三九七七万五三三一円

亡浩司は、死亡当時一五歳で、本件がなければ一八歳から六七歳まで就労することができたと考えられるから、平成二年度賃金センサスの男子労働者の産業計、企業規模計、学歴計の全年齢平均給与額により年収五〇六万八六〇〇円を基礎とし、生活費としてその半額を控除の上、ライプニッツ式計算方式により中間利息を控除した額。

なお、原告らは、亡浩司の父母としてそれを二分の一ずつ各一九八八万七六五五円宛相続した。

(2) 慰謝料 一二〇〇万円

亡浩司は、中学生のときから高校入学時以降も陸上競技部に所属して活発に活動し、友人からの人望も厚く、正義感の強い優しい素直な少年であったところ、本件各暴行により死亡し前途を断たれた無念さは察するに余りあり、かつ、本件は、暴力を否定し、それを指導していく立場にある教師によって敢行された事案であり、また、本件各暴行以降、被告松浦及び同井上は、亡浩司及び原告らに対し、謝罪の意思表示すら行わず、亡浩司に対し、治療費請求のための書類である「傷病発生調査」と題する書面に虚偽の記載を指示するなどの不誠実な態度に出ているものである。以上の事実を考慮し、亡浩司の死亡による精神的苦痛を敢えて金銭的に見積もれば、一二〇〇万円は下らない。

なお、原告らは、亡浩司の父母として、これを二分の一ずつ各六〇〇万円宛相続した。

(二) 原告らの損害

(1) 治療費 各二五一〇円

(2) 葬祭費用 各一九万二四五〇円

(3) 損害賠償請求関係費用

各三八一五円

(4) 慰謝料 各四〇〇万円

亡浩司は、明るく活発な少年であり、また、親思いの優しい心を持った原告らの最愛の息子であったが、被告らの行為によりその生命を断たれ、原告らは、亡浩司の死後、悲嘆の念に暮れながら日々の生活を送っている。しかしながら、本件以降被告松浦及び同井上は、原告らに対し、本件の真相を明らかにしようとせず、謝罪の意思表示すらしていないなどの態度に出ているものである。以上亡浩司の死亡によりその父母である原告らが被った精神的苦痛を金銭に見積もれば、それぞれ四〇〇万円は下らない。

(5) 弁護士費用 各三〇〇万円

3  被告松浦及び同井上の個人責任

被告らは、被告松浦及び同井上に対する請求につき、同被告らの不法行為責任については、民法ではなく特別法である国家賠償法の規定が優先して適用されるべきであり、同法条項においては、教育公務員の使用者である被告長崎県が賠償の責に任ずるのであって、公務員である被告松浦及び同井上が原告らに対し直接賠償の責を負うものではない旨主張する。

しかしながら、原告らは、本件各暴行、本件傷害そして本件死亡の結果を、同被告らの故意又は重過失によるものと主張するものである。加害公務員に故意又は重過失がある場合においては、当該公務員自身の個人責任を否定する理由は全くなく、むしろ、加害公務員に対する責任追及は、公務員に対する国民の監督的作用によって極めて有効な手段であり、本来国民全体の奉仕者であるべき公務員が故意又は重大な過失によって国民の権利を侵害する場合にすら公務員個人に対する直接責任の追及を認めないのであれば、経済的充足だけでは満たされない国民の権利感情を著しく阻害する結果を招来するおそれがある。

したがって、加害公務員に故意又は重過失ある場合、当該公務員の個人責任を認めるのが相当であり、本件においても同被告らは原告に対し直接賠償の責を負うというべきである。

4  よって、原告らは、被告松浦及び同井上につき民法七〇九条、七一九条一項に基づき、被告長崎県について国家賠償法一条に基づき、被告ら各自に対し、本件各損害賠償請求をする。

二  被告らの主張

1  本件各暴行に至る経緯及び被告らの共謀

(一) 原告らは、被告松浦がセミナーハウス女子宿泊室にいた亡浩司を発見し、被告井上にその旨告げたと主張するが、被告松浦は、女子宿泊室から男子のような低い声が聞こえたので、確認しようと部屋のなかに入ったが、確認できなかったので、被告井上に男子のような低い声の主の心当たりについて尋ねに行ったのであり、亡浩司らを発見したのは、その声の主に心当たりがなく、直接女子宿泊室に行って確認した被告井上である。

(二) 被告松浦及び同井上は、被告井上が亡浩司らを女子宿泊室で発見するまで、男子生徒が女子宿泊室にいるとの確信を持っておらず、被告井上が男子生徒を発見する以前に被告松浦及び同井上が本件各暴行に及ぶことの意思を相通じていたことはありえず、また、本件各暴行が全て終わる直前まで、右両名は、互いに離れた位置にいたのであるから、本件各暴行は、その終了に至るまで被告松浦及び同井上がそれぞれの意思に基づき、別個にこれをなしたものである。

2  本件各暴行と亡浩司の傷害との因果関係

(一) 被告松浦は、説諭を行いながら、亡浩司及び浜口誠二(以下「浜口」という。)を同程度の力で交互に殴ったのであるから、被告松浦が亡浩司の顔面を続けざまに殴ったものとはいえず、また、亡浩司が倒れた際の状況については、本件各暴行が行われた後、被告松浦及び同井上が、その場で生徒両名に対する以後の処置について相談した後、両名を別紙「セミナーハウス」平面図記載の指導員室②(以下「指導員室②」という。)で指導することに決め、その指示を受けて亡浩司は、指導員室②へ行こうとして二、三歩歩き出したときに玄関ホールの床に倒れたのであるから、本件各暴行後亡浩司の転倒までには若干の時間が経過していたことになる。

さらに、被告松浦は、亡浩司が棒のような状態で倒れたのを見て、それが演技ではないかと不審に思い、倒れた亡浩司に対し「俺はそがん倒れるごとは叩いとらんぞ。立て。」と言っているくらいであるから、被告松浦にとって亡浩司が倒れたのは、全く意外な出来事であったことが理解でき、被告井上にとっても、自分の暴行により亡浩司が転倒することは想像できなかったといえる。

よって、被告松浦及び同井上が本件各暴行に出れば、亡浩司が本件傷害を負い、死に至ることが容易に予見できたとする原告らの主張は、理由がない。

(二) 亡浩司が転倒したのは、複雑部分発作のてんかんによるものであり、原告らの主張するような一次性ショックによる失神発作を原因とするものではなく、このことからも本件各暴行と亡浩司の転倒、受傷の間に因果関係はない。

3  本件傷害に関する注意義務違反(重過失)

原告らは、被告松浦及び同井上には、亡浩司の身体的変化を看過した注意義務違反があったと主張するところ、被告松浦は、亡浩司と浜口を転倒させるほど強く叩いたものではなく、かつ、両生徒を同じ程度の力で一回、一回、説諭しながら叩いたのであり、しかも、亡浩司の身長、体格等を考えれば、亡浩司の転倒を予見できる状況にはなかったというべきである。また、被告井上は、女子宿泊室のなかで亡浩司を一回、浜口を二、三回叩いたのみであり、それ以外に両生徒を叩いたことはない。

右の各事実からすると、被告松浦及び同井上には、亡浩司の不安と驚愕による身体的変化を看過した注意義務違反があったということはできない。

4  本件各暴行と死との間の因果関係及び注意義務違反(重過失)

原告らは、亡浩司の死亡は、被告松浦及び同井上が医師に対する本件各暴行及び傷害時の説明をなさず、かつ、亡浩司の本件傷害後の身体的、精神的状況の変化に配慮しなかった注意義務違反によるものであり、精神的重圧とてんかん誘発による死亡との間に因果関係があると主張するところ、被告松浦は、平成四年六月一六日、亡浩司が治療している間に、原告英雄に対して傷害に至る事実経過の一部始終を説明していたのであって、本件各暴行及び傷害時の状況について秘匿していたものではなく、むしろ、亡浩司のてんかんの発作について事情を知悉し、医師に数回相談をし、亡浩司を受診のため連れて来るよう医師から慫慂されていた原告らこそ亡浩司の保護監督者として傷害時の状況をも合わせ医師に十分説明できる立場にあり、またそうすべき機会と知識を有し、注意義務があったというべきものである。また、亡浩司の当時の年齢からしても本人の口から医師に説明することも可能であり、原告英雄も医務室の外にいたのであるから、傷害に至る状況をいずれもが説明できたはずである。

さらに、被告松浦及び同井上は、亡浩司がてんかんの持病があることを全く知らされていなかったこと、被告松浦は、亡浩司が転倒した後、二、三秒後に立ち上がったこと、被告松浦及び同井上はその後亡浩司が指導員室に向けて歩きはじめた時、亡浩司の背後にいたため、意識が無くなって転倒したという認識がなかったこと、さらに、亡浩司は、指導員室では具合が悪いとは言っていないことなどから判断すると、被告松浦及び同井上が、医師に直接傷害の状況を説明すべきであったのに、これを怠ったと非難すべき状況があったとはいえない。むしろ、原告らが亡浩司のてんかんにつき相談した医師の勧めに従って亡浩司を受診させ、亡浩司が進んで投薬治療を受けておれば発作を抑えることができ、本件傷害の発生も未然に防ぐことができたはずである。

原告らは、亡浩司の死亡は、被告松浦及び同井上が本件傷害後の亡浩司の身体的、精神的状況の変化に配慮しなかった注意義務違反によるとするものであると主張するところ、亡浩司は、本件各暴行を受けた後も死亡に至るまで元気であったもので、加えて、被告松浦及び同井上は、亡浩司にてんかんの持病があることは全く知らされていなかったのであるから被告両名が亡浩司のてんかんの発作を事前に予見できたはずがなく、被告両名に右の点に関する注意義務があったということはできず、また、精神的重圧とてんかん誘発による死亡との間に因果関係はない。

5  「傷病発生調査」

原告らが問題としている本件傷害に対する「傷病発生調査」書には、傷病の発生状況を記載する欄に、事実と異なる内容が記載してあり、原告らは、被告らが事実と異なる記載を指示したのは、被告らの不誠実な態度によるものだと非難しているところ、このような事実と異なる記載がなされたのは、教職員の体罰に基づく傷病については、学校の管理下において起こったものであっても災害共済給付が支給されないものと信じていた壱岐高校校長竹中康徳(以下「竹中校長」という。)からの指示に基づいて、被告井上が「事実をありのまま書けば保険が出ないかもしれない。」、「自分で工夫して書きなさい。」などと言って、亡浩司に「傷病発生調査」用紙を渡したためであって、被告井上は、廊下で滑って転び怪我をしたと記載するよう亡浩司に指示したことはない。

また、被告松浦は、亡浩司が本件傷害を負うに至るまでの事情を原告英雄に説明し、さらに、平成四年六月一六日の夜には同校の松永宏之教頭(以下「松永教頭」という。)も原告らに電話をかけ、被告松浦及び同井上の本件各暴行につき説明したうえで謝罪をしており、原告らはその事情を知悉していた。そのうえで原告英雄は、亡浩司が持ち帰った「傷病発生調査」書の内容を十分認識して署名押印したものである。

さらに、本件「傷病発生調査」書については、亡浩司の生前においては、原告らから竹中校長や被告井上らに問い合わせがあったり、不審の言辞等が示されることがなかったにもかかわらず、亡浩司死亡後の平成四年六月二九日になって初めて、原告らは、竹中校長が虚偽記載を指示したとして同校長を非難するに至ったもので、以上の経緯から明らかなように「傷病発生調査」書に事実と異なる記載がなされたのは、本件各暴行の事実を隠蔽する意図によるものではなく、原告らもこうした記載がなされることを十分承知していたのであり、原告らが主張するような被告らの不誠実な態度に起因するものではない。

第五  争点に関する裁判所の判断

被告松浦及び同井上の本件各暴行及びその後の対応と亡浩司の傷害又は死亡の結果との間の因果関係の存否並びにこれに付随する論点につき、以下検討を加える。

一  亡浩司が死亡に至る経緯

証拠(乙二、三、八の一〇、一二、二三、三〇、原告優子本人)及び弁論の全趣旨並びに前記争いのない事実を総合すると、以下の事実を認めることができ、この認定を覆すに足りる証拠はない。

1  本件学級合宿研修

壱岐高校における学級合宿研修は、同校一、二学年生を対象として、同校敷地内のセミナーハウスを使用して各学級単位で平日に実施されるものであり、参加する生徒らは、日課表(乙二)に従って通常の授業を受け、部活動にも参加しながら、セミナーハウスに宿泊して集団活動やミーティング等の研修を受けることになっていた。

2  一年二組における学級合宿研修

平成四年度の壱岐高校一年二組の学級合宿研修は、同年六月一五日から同月一七日まで三日間の日程で、以下の要領で実施された。

(一) 参加者 男子二〇名、女子二二名、計四二名

(二) 指導者 被告井上(一年二組担当)及び同松浦(同組副担任)

(三) 部屋制

男子 別紙「セミナーハウス」平面図の宿泊室③

女子 同図宿泊室①及び②

被告井上 同図指導員室②

被告松浦 同図指導員室①

なお、本件学級合宿研修用に作られたパンフレット「ZOO」(乙三)には、セミナーハウス使用上の注意事項6の②において、男女間の部屋の出入りは禁じる旨定めてあり、このことについては、参加する生徒らには事前に注意を行っていた。

3  暴行に至るまでの経緯

本件学級合宿研修初日である平成四年六月一五日の夜は、日程どおり午後一一時ころ消灯したが、被告松浦は、消灯後も男子生徒の宿泊室及び女子生徒の宿泊室(以下「女子宿泊室」という。)の双方から話し声が聞こえたため、早く寝るよう何回となく注意を加えた。

なお、前記「ZOO」には、その第一二項に「消灯後は、速やかに就寝する。」、第一六項に「日課時間を厳守し、睡眠不足や過労に陥らないよう十分健康管理に注意する。」との規定が置かれていた。

翌一六日午前零時三〇分ころ、被告松浦は、指導室①前の女子宿泊室から男子生徒のような低い話し声が聞こえたので、入口の襖を開けて部屋に入り、入口近くの畳の上から「誰か男子がおらんか、ちょっと人数が多いぞ。」と試しに聞いてみたところ、部屋の中が薄暗いうえに、皆が布団を被り、返答もなかったため、男子生徒の在室の有無を確認することができなかった。そこで、被告松浦は、半信半疑ながら、とにかく学級担任である被告井上に報告して対応を相談しようと考え、指導員室②にいる被告井上のもとへ向かった。

被告松浦から報告を受けた同井上は、右の疑念が事実であれば大変なことだと考え、自ら確認するため女子宿泊室の前まで行き、入口近くで様子を窺っていたが、確かに男子生徒のような話し声が聞こえてきたので、やはり男子生徒がいるようだと考え、戸を開けて女子宿泊室内に入ったが、室内は薄暗く全員が布団を被った状態だった。

4  被告井上の暴行

そこで、被告井上は、「誰か男子が居るやろう。」と言って、入口手前から順に布団の中の生徒の頭部を触り確認していくと、二人目くらいで男子生徒と思われる頭髪の短い頭に触れたので、その布団をはがすと、浜口誠二が横たわっていた。被告井上は、「何しょっとか。」と言いながら浜口の頭部を二、三回右手拳で殴った。

次いで、被告井上は、「他に誰かいないか。」と言ったところ、部屋の廊下側中央部付近で亡浩司が立ち上がったので、そのそばに歩み寄って、「何ばしよっか。」などと言いながらその場で亡浩司の左頬を右手拳で一回殴り、亡浩司及び浜口に対し「二人とも外へ出ろ。」と言うと、二人は歩いて廊下に出ていった。

右生徒二名を廊下に出した被告井上は、そのまま女子宿泊室に残り、女子生徒に対し説諭を加えた。

5  被告松浦の暴行

被告松浦は、被告井上が女子宿泊室内で男子生徒を発見したことを知り、深夜に男子生徒が女子宿泊室に入室していたのは重大な問題であるから、入室した男子生徒に厳しい注意を加える必要があると考え、再度廊下に出てみると、玄関ホール中央にあるブロンズ像横の女子宿泊室寄りの位置に気を付けの姿勢をとって並んでいる亡浩司及び浜口の姿を認めた。そこで被告松浦は、両名に対し、「大変な事をしとるのが判っているのか。」などと叱責を加えながら、亡浩司、浜口の順に右平手で両名の左頬を殴り、続いて、浜口、亡浩司の順に左平手で右頬を殴り、以後約一〇回にわたり右と同様の方法で亡浩司及び浜口を交互に殴った。

6  亡浩司が廊下に倒れた状況

廊下の方から人が殴られているような音のするのを聞き気になった被告井上が、女子生徒への説諭を切り上げ、自ら廊下に出てみると、ようやく被告松浦が亡浩司及び浜口を殴り終わろうとするところであった。

被告松浦は、亡浩司及び浜口を殴り終わると、ひき続き両名に説諭を加えたが、自分の背後に来た被告井上に気付き、同人と相談の上、夜も遅いことであるから、とりあえず生徒両名を指導員室で指導することとし、指導員室②へ行くよう指示した。

そこで、右両名は、指導員室②の方へ歩きだしたが、亡浩司は、二、三歩歩いたところで、突然棒のように体を硬直させて前のめりに倒れ、両手を下につくことなく、顔面を直接木製フローリング板張りの廊下に打ちつけた。

被告松浦は、亡浩司が倒れた様子を見て、一瞬、わざと倒れてみせたのではないかと思い、「俺はそがん倒れるごとは叩いとらんぞ、立て。」と言ったところ、亡浩司は、三、四秒後には、はっとしたように手をついて自分で立ち上がり、そのまま指導員室②へ歩いて行った。

7  本件各暴行後の措置

指導員室②では、亡浩司と浜口が並んで畳に座り、被告松浦及び同井上がこれに相対峙する形で並んで座り、亡浩司及び浜口に対し、約二〇分間にわたり説諭を加えたが、右説諭を始めて間もなく被告松浦及び同井上は亡浩司の顎の下が切れていることに気付いた。右の傷は、顎の真下の部分が真横に三センチメートル程切れて傷口が開き血がにじんでいた。そこで、被告松浦が指導員室①の机の上に置いてあった救急箱を取ってきて、亡浩司の顎の下の傷口を簡単に消毒し、カットバンを貼った。被告井上が亡浩司の顎の傷を見ながら「こりゃあ縫った方が早く治るかもしれんなあ、大丈夫や。」と言うと、亡浩司は、「はい大丈夫です。」と答えた。被告松浦及び同井上は、亡浩司の顎の傷の処置について相談したが、既に深夜に及んでいるので翌朝直ちに亡浩司を病院に行かせることとした。

被告松浦は、その後、しばらく説諭した上で指導員室①に戻ったが、被告井上は、その後も引き続き亡浩司及び浜口に対する説諭を行い、午前一時過ぎころ、右両名を男子生徒の宿泊室に帰した。

同日午前一時三〇分ころ、亡浩司が指導員室②の被告井上のもとに来て、血が止まらないのでカットバンを取り替えて欲しいと告げた。被告井上は、被告松浦の部屋に救急箱があるから行って付け替えてもらうよう指示し、指導員室①に行かせた。

被告松浦は、指導員室①に来た亡浩司の傷を見て、カットバンを付け替えた。

カットバンを付け替える際に、被告松浦が「大丈夫か。」などと声をかけると、亡浩司は、「大丈夫です。」と答えて、男子生徒の宿泊室へ戻った。

8  翌朝の亡浩司の行動

翌一六日の朝は、亡浩司を含む本件学級合宿研修参加者全員が予定どおり午前六時に起床した。午前六時二〇分からの「朝のつどい」において、全員でラジオ体操などをした後、被告松浦が、亡浩司及び浜口に対し様子を尋ねると、両名とも「大丈夫です。」と答えた。

被告松浦は、前夜の相談のとおり、亡浩司を朝から病院に行かせるためその準備をさせ、朝食終了後の午前七時三〇分ころ、亡浩司とともに事務室に行き、自宅に電話をかけ家人に保険証を病院まで持って来てもらうように依頼することを亡浩司に指示した。その際、亡浩司は、深夜、女子の部屋に入ったことを親に言いにくいと述べて電話するのを躊躇する様子を示したため、被告松浦が「それなら、廊下で滑ったか何かにしておけば…」と言ったところ、亡浩司もこれを了承したので、亡浩司の自宅に電話をかけ、亡浩司は、原告優子に壱岐公立病院まで保険証を持ってくるよう頼んだ。

被告松浦としては、亡浩司の口からは両親に本当のことを言いにくいであろうと考え、右のような提案をしたものであった。

被告松浦は、亡浩司が元気であると考えていたため、午前七時五〇分ころ、壱岐高校から徒歩で約一〇分の距離にある壱岐広域圏町村組合立壱岐公立病院(以下「壱岐公立病院」という。)まで亡浩司を一人で歩いて行かせた。

被告松浦は、午前八時五分からの壱岐高校職員会議において、松永教頭に前夜のできごと及び亡浩司の受傷状況等につき報告を行い、その後自らも壱岐公立病院に向かった。

9  病院での状況

被告松浦が午前八時五〇分ころ、壱岐公立病院に到着すると、亡浩司は未だ診察前だったので、被告松浦と亡浩司が待合室で待機していると、間もなく原告英雄が保険証を持って来た。

その後、順番が来た亡浩司が診察室に入ると、被告松浦は、原告英雄に対して、前夜のできごとについてそのあらましを説明し、さらに自分たちが亡浩司に暴行を加えたことにつき謝罪した。いったん説明が終わった後、原告英雄が「どんな状態で倒れたんですか。殴っている時に倒れたんですか。」と尋ねたので、被告松浦は、再度倒れたときの状況等を説明した。

亡浩司の治療が終了し(亡浩司は顎を三針縫った。)、被告松浦及び亡浩司の両名は、同日午前九時五〇分ころ、原告英雄と壱岐公立病院で別れ、歩いて学校に帰った。

10  以後の亡浩司の行動等

亡浩司は、学校に戻ると、一六日の通常の授業を受けた後、同日夕方からの学級合宿研修の行程を他の生徒らとともに消化し、さらに、翌一七日の学級合宿研修にも通常どおり参加した。なお、一六日午後七時から「集団活動」プログラムの一環として行われたドッチボールには、亡浩司も参加した。

また、亡浩司は、負傷した顎の治療のため壱岐公立病院に五日間通院し、さらに、歯の治療のため医療法人光武歯科医院でも治療を受けたが、これら通院を理由とする合計六時限分の欠課のほかは、同月一六日以降二四日に至るまで壱岐高校の通常授業に欠席することはなかった。

また、同月一六日から二四日に至るまでの間、亡浩司は、所属していた陸上部の部活動に休むことなく参加していた。

二  以上の事実を前提に亡浩司が、(1)廊下に転倒し、顎部挫創等の傷害を負うに至ったメカニズム、及び、(2)急性心不全により死亡するに至ったメカニズムにつき検討を加える。

1  亡浩司の転倒、受傷のメカニズム(本件各暴行との因果関係)

(一) 本件では、亡浩司が被告松浦及び同井上の本件各暴行を受けた直後、指導員室②に向かう途中の廊下で転倒したのが一次性ショックによるものであったか、それともてんかんの発作によるものであったかが問題とされている。

一次性ショックとは、外傷による激痛や激しい驚愕により交感神経系が抑制される結果、末梢血管が拡張し、血管床の急速な増大により循環血液量が低下し、反射徐脈、低血圧、顔面蒼白、めまい、脱力感、嘔吐感、意識喪失等を生起する状態をいうのに対し、てんかんの発作は、中心脳に由来し発作症状はほぼ左右対称である全般発作と、脳局所、特に大脳半球皮質の特定部位のてんかん源(器質損傷、ほとんどが後天性損傷から生ずる。)に由来し損傷部位の神経症状を呈する部分発作とに大別され、さらに前者は、欠神発作と強直間代発作に、後者は、単純部分発作と複雑部分発作とにそれぞれ分類される(以上、鑑定人田中彰の鑑定の結果)。

(二) 亡浩司の発作歴等

ところで、証拠(甲一一の一ないし四、乙八の二二、二四、二六、二七、原告優子本人)及び弁論の全趣旨によれば、亡浩司の過去の発作歴に関し、以上の事実を認めることができる。

①亡浩司は、平成二年一二月七日午前八時ころ、徒歩で登校中、突然、全身を回転させて転倒し、その後三、四分間にわたり意識を喪失した。その際のけいれんの存否は判然としないが、両下肢の屈曲と筋硬直が認められ、意識が回復したのちは、目をキョロキョロさせ、頭痛及び吐き気を訴え、実際に嘔吐した。なお、倒れてから一五分ないし二〇分間の記憶が消失していた、②同年一二月二九日、コタツに座っているところを突然意識を失い、そのまま数分間横になっていた、③平成四年一月一一日、自宅で立っているところ突然転倒し、数分間意識を失っていたが、意識を回復したのち、頭痛と眠気を訴えた。

これらの発作に関連し、亡浩司は、④平成二年一二月七日の発作直後には、壱岐公立病院に搬入され、頭部CT、脳波、胸部レントゲン、血液、心電図等の検査を受けたが、脳波以外に異常は認められず、検査に当たった同病院医師からてんかんの疑いを指摘された、⑤同月一七日には、同病院精神科で専門医の診察を受ける予定になっていたものの、本人が体調に異常はないと言って受診せず、原告優子のみが医師から説明を受けた。その際、担当医師は、脳波検査は境界型であり、発作波は認められず、(右説明当時)発作がまだ一度だけであることからもてんかんとは断定できないもので、当面様子をみることとするが、てんかんの疑いがあるので、同病院精神科で年に二回位の割合で脳波検査を受け、日常生活においては夜更かしや無理をせず、今後、発作を繰り返したり、脳波検査でてんかんを示す結果が出た場合には、抗てんかん薬の投与を検討することにするなどと原告優子に説明を加え、亡浩司本人の受診を重ねて勧めた、⑥さらに、同月二九日の二度目の発作後は、亡浩司自身が医師の診察を受けることはなく、原告優子が電話で当直医に相談している。その際、右医師から、今度引きつけを起こしたら、電話で連絡するように、たとえ発作を起こさなくても、翌平成三年一月四日には受診させるように、と原告優子に指導したが、亡浩司は、結局受診しなかった。⑦平成四年一月一一日の三度目の発作の後も亡浩司自ら診察を受けることはなく、原告両名が壱岐公立病院の精神科に相談に行ったが、その際、担当医は、もう一度本人の脳波検査を行った上で薬の服用を開始すべきかどうかを決めたい、本人の意思確認が必要であるから、高校受験が終了した後に本人を診察するが、それまでは日常生活の節制に心掛けること、次回の診察日である二月一七日には本人を受診させることなどを原告両名に説明したが、亡浩司は、同年二月一七日にも受診せず、原告優子のみが相談に行き、その際、原告優子は、亡浩司は、身体に異常がないと言って受診に積極的でない、高校受験終了後の三月一六日には必ず本人と一緒に来て受診させる、などと話し、担当医は、その際、九州大学医学部付属病院小児科に紹介状を書くことを申し出たが、その後も亡浩司は、結局受診しないままに終わっている。

以上の経過から明らかなように、亡浩司は、てんかんの疑いに基づく医師の専門的な診察及び治療を受けておらず、それ故に亡浩司がてんかんの持病を有するとの医師による正式な診断も下されていないのであるが、前記①ないし③の三回にわたる発作の内容及びその前後の経過等(特に①及び③の各発作は、相当重篤な意識消失を伴っており、かつ、脳の一部分の損傷を示す局所症状を認めない。)に加え、直接診察しないまでも原告らの詳細な話しを聞いた上で担当医がなした説明の内容等を総合勘案するとき、亡浩司は、てんかんの持病を有していたもので、前記①ないし③の三回の発作は、いずれもてんかんの発作(前記分類中の全般発作)によるものであったと認めることができる。

(三) 亡浩司の本件の転倒の原因

右にみた亡浩司の過去の発作歴等に関係証拠(乙八の一〇、一一、二六、証人田中彰の証言)及び鑑定人田中彰の鑑定の結果を併せて考慮すると、以下の理由から本件各暴行直後の亡浩司の転倒はてんかんの発作によるものではなく、一次性ショックによるものと認めるのが相当である。

すなわち、亡浩司は、①気をつけの姿勢をとったまま被告松浦により多数回の殴打を受けた後、転倒したこと(乙八の一〇)、②右殴打の際、膝の部分をがくがくさせて緊張している様子であり(乙八の一〇)、精神的に不安定な状況で転倒したものと考えられること、③後に、転倒時の状況について「叩かれて足にきた。足がフラフラしたので倒れないように一生懸命立っていた。そうしたら十回位叩かれてその後どこかに行くって言われてそして倒れた。」と母親に話しており(乙八の二六)、転倒時に本人自ら倒れるという自覚があったと考えられること、④倒れる際、立ったままの姿勢から両手をだらんと下に垂らし、前のめりに倒れ、その後、両手をつき上半身を起こして立ち上がろうとしたが、足がいうこときかない様子で、上半身を起こした中腰の姿勢から再び前のめりに倒れた(乙八の一〇)もので、全身の筋脱力があったものと考えられ、その間けいれん等の運動反応は起きていないこと、⑤転倒後、被告松浦から「それ位で倒れるな。立ち上がれ。」と叱責され、すぐ立ち上がろうとしたができず、再度、立ち上がれと言われ、今度はすぐに立ち上がっている(乙八の一〇)ことから、意識消失は、約三秒間と短く、その程度も軽微なものであったと考えられること、⑥起き上がった後は、通常の足取りで歩き始め、その直後の行動に何らの症状も残さず、完全に回復したようにみえたこと(乙八の一一)などの事情を総合してみると、これら状況は、意識消失の継続時間とその程度、意識消失前及び回復後の各症状等の面において、亡浩司が以前に経験したところのてんかん発作と推察される前記各症状とは異なるものであって、亡浩司の前記転倒をてんかん発作によるものと位置づけることはできない。

この点、被告らは、亡浩司は棒のように倒れたことでもあり、前記転倒がてんかんの複雑部分発作によるものであると主張するところ、亡浩司は、平成二年一二月七日の診察で頭部CT検査を受けたものの、脳の一部損傷を示すような異常は全く認められず、過去の三回の発作においても局所症状が認められていないし、前記の転倒がてんかんの複雑部分発作であるとの被告らの主張をたやすく容れることはできない。

そして、前記認定にかかる亡浩司の転倒前後の状況を総合すると、これらの状況は、前記分類の一次性ショックにおける原因及び症状に、より符合するというべきである。すなわち、亡浩司は、自ら規律違反を犯したことにより高校入学以来初めて教師から厳しい叱責を受け、あまつさえ相当激しい暴行をこれら教師によって加えられたことに基づく精神的、肉体的ショックから、血流障害を伴う循環不全を起こし、その結果、ごく短時間の意識消失を生じて廊下に転倒したものと理解するのが自然である。

以上から亡浩司が転倒したのは、一次性ショックによるものであったと認めることができる。

(なお、この点に関連し、乙八の二五中には、光武新人医師の刑事事件の捜査官に対する、前記の転倒は、亡浩司の心疾患の持病に起因する不整脈による失神発作と想像される旨の供述部分が存するところ、亡浩司が心疾患であったことは、本件全証拠によってもこれを認めることはできず、しかも前記のとおり亡浩司は、平成二年一二月七日の診察では心電図、胸部レントゲン検査を受けたものの何らの異常も認められなかったのであるから、捜査官の質問に応じて一般的可能性を述べたにすぎない右供述に依拠して前記転倒の原因を認定することはできない。)

(四) 本件各暴行と亡浩司の転倒、受傷の因果関係

ところで、前記のとおり、亡浩司は、廊下に手を突くことなく倒れ込み、顎部等を強く廊下の床に打ちつけたもので、本件傷害は、その部位、程度のほか、転倒前後の亡浩司の状況等の事情からして、この転倒時に亡浩司が床に顎等を強く打ちつけることによって生じたものであるところ、右の一次性ショックが、被告松浦及び同井上の本件各暴行によって惹き起こされたものであることも、前記のとおりであって、以上を総合すると、本件各暴行と亡浩司の本件傷害との間には事実的因果関係があったといえる。

加えて、証人田中彰の証言によれば、一次性ショックは、特定の精神障害や負因の存在を前提とするものではなく、急激な状況の変化等により精神的に不安定な状況に陥れば、個人差こそあれ、およそ、誰にでも生じうるものと認められ、前記認定にかかる本件各暴行の内容及びその当時の亡浩司の状況等に鑑みれば、亡浩司の一次性ショックについて予見可能性がなかったとはいえず、結局、本件各暴行と亡浩司の本件傷害との間には相当因果関係があったということができる。

2  亡浩司が急性心不全により死亡するに至ったメカニズム(因果関係)

(一) 死亡に至るまでの亡浩司の生活状況

既に認定したとおり、亡浩司は、前記の受傷後の後、平成四年六月二四日に急性心不全のため自宅風呂場で死亡するまでの間、従前と変わらぬ生活をしていたものであるが、その間の亡浩司の心身の状態については、関係者間に若干の認識差があることを否定できない。すなわち、刑事事件の捜査段階において、浜口は、亡浩司の当時の状態に関し、別に変わった様子は見受けられず、また、体罰を受けたことによるショックも外見上認められなかったと供述し(乙八の一〇、一一)、被告井上も、自分が見たかぎりでは、怪我による後遺症や身体の変調の兆しなど感じられず、何度か心配して声をかけても、大丈夫です、と返事していたなどと述べており(乙八の一二)、原告英雄も、亡浩司は、家族に身体の変調を訴えることもなく、通常の生活リズムを保ち、陸上部のクラブ活動も続けていた旨供述している(乙八の二七)が、その一方で、原告優子は、亡浩司は、前記受傷後死亡に至るまで普段に比べ著しく元気がなく、食事の量も減り、六月二二日には、直接自分に対し、悪寒等身体の変調を訴え、顔色も蒼白であった旨述べており(乙八の二六、原告優子本人)、その他にも、当時亡浩司の同級生であった松永則彦(早一三、乙八の二三)及び岩崎佳(甲一四)は、普段身体の具合が悪いと訴えることなどない亡浩司が、前記受傷の二日程後に、頭痛や吐き気を訴えたり、いつもははしゃいでいるのに、おとなしく、机に額を押し当てるような恰好をしていたなどと指摘しているのである。

これら各供述を総合し、さらに、亡浩司の死亡後に撮影された頭部CTの写真フイルムをみるかぎり亡浩司の頭蓋内には何らの病変も認められなかったことをも併せ考慮すると、亡浩司には、前記受傷後も通常の生活を送れなくなるような急激な体調の悪化は認められず、現に普段どおりの生活を送っていたものであるが、精神的には相当程度落ち込んでおり、体調の面でも時折、頭痛や悪寒を感じるなど必ずしも優れた状態ではなかったことが認められるのである。そして、こうした心身両面のある程度の不調は、前記認定にかかる本件各暴行後の亡浩司の行動や対応、さらには弁論の全趣旨から認めることができる亡浩司の感受性の強さ等を総合勘案するとき、自ら規律違反を犯し、高校入学後初めて教師から体罰を受けたことに基づく精神的重圧が、諸々の自律神経失調症状を引き起こしたものであると理解することができる。

(二) 亡浩司が死亡していた状況

証拠(乙八の一九、二〇)によれば、亡浩司は、平成四年六月二四日午後一一時過ぎころ、自宅風呂場において、うつ伏せの状態で浴槽に顔を付け、身体は洗い場に出た状態で倒れているところを原告英雄に発見されたが、身体の周囲には吐物が飛び散っていた。亡浩司は、同日午後一一時四〇分ころ、壱岐公立病院に搬入され、当直医の秋山寛治が直ちに救急治療に当たったが、搬入時点で既に死亡状態にあり、諸々の蘇生方法を試みるも効果がなかった。そして、同医師は、気管内にチューブを挿入した際、肺から水が出ず、溺死の徴候が認められなかったことやその他の状況を総合して死因を急性心不全とした(乙八の一九)。

右の状況からして、亡浩司は入浴中、意識を失って浴槽内で溺死したものではなく、浴槽の外で意識がなくなり、激しく嘔吐し、その吐物が喉につまって気道閉塞が起こったか、あるいは若干の時間をおいて呼吸停止が起こり、その結果、顔が浴槽のなかに倒れ込む形で昏倒したものと推認することができる。

(三) 亡浩司が浴室で昏倒するに至った原因

既に検討したとおり、亡浩司は、てんかんの持病を有していたものであり、しかも、その発作は、前記鑑定の結果によれば、強直けいれんを伴う全般発作であったと認められるところ、亡浩司は、三回にもわたる発作を経験しながら、自ら専門医の診断、治療を受けることなく、抗てんかん薬の投与も全く受けていなかったもので、直近の発作が平成四年一月一一日と比較的最近であったことをも考慮に入れると、死亡する直前の亡浩司は、何時てんかんの発作が起きても不思議でない状況にあったということができる。

しかも、前記のとおり、亡浩司は、死亡直前に浴槽外で激しく嘔吐しているところ、てんかんの発作であったと推察される平成二年一二月一七日の発作の際にも、亡浩司は徒歩で登校途中、突然転倒して意識を喪失し、意識回復後嘔吐感を訴え、実際嘔吐しており、彼此対照すると、亡浩司の風呂場における転倒状況は、一回目のてんかん発作の際の状況に類似しているといえるから、こうした事情を、前記死亡直前の亡浩司の状態等に併せて考慮してみると、結局、本件において亡浩司の直接的な死亡の原因となった風呂場での昏倒(嘔吐)は、亡浩司の持病であるてんかんの全般発作によるものであったということができる。

(四) 本件各暴行とてんかん発作の因果関係

そこで、さらに問題となるのが、被告松浦及び同井上による本件各暴行と亡浩司の浴室内での前記てんかん発作の間に因果関係が認められるか、否かであるが、確かに、本件各暴行を受けたことなどにより、死亡当時の亡浩司がある程度の心身上の不調を抱えていたと認められることは既述のとおりであるから、それが亡浩司の持病であるてんかんの発作を誘発する一因となったか否かについては、さらに慎重な検討を要する。

この点、前記鑑定の結果によれば、近時、外国の研究においては、異常な体験によるストレスがてんかん患者のてんかん発作を誘発することがあるとの指摘がなされており、このような考え方が本件にも押し広げられるのではないかということが一応問題となる。

しかしながら、証人田中彰の証言中には、こうした異常体験によるストレスとてんかん発作の関係について、外国の症例研究においては、因果関係があるとの報告はなされているが、それが確立した理論たりうるかについては、なお症例研究を重ねる必要があるし、本件各暴行と亡浩司のてんかん発作及び突然死との因果関係は微妙な問題であり、両者の間には直接的な因果関係はないであろうと考えられるが、ただ、本当に全く関係ないのかというように突き詰めると、前記研究の論文、教科書等の見地に立てば、それをも完全に否定することは躊躇され、半信半疑である旨の証言が存し、同証言部分を含む証人田中の証言及び前記鑑定の結果並びに前記のような何時てんかん発作が起きても不思議でなかったという当時の亡浩司の状態等を併せて考慮すると、被告松浦及び同井上の本件各暴行が亡浩司のてんかん発作を誘発する一因となった可能性を全面的に否定することはできないものの、かといって、両者の間に事実的因果関係があるとの確信も、また、抱くことができない。

さらに、本件各暴行それ自体は、人を直接死に至らしめる程に激しいものではなく、また、被告松浦及び同井上の両名は、亡浩司がてんかんの疑いを抱かれていた事実を全く知らなかったのであるから、本件各暴行の当時、亡浩司がてんかん発作はもとよりその他死につながるような状況に至ることの予見可能性はなかったといえる。

以上を総合すると、本件各暴行と亡浩司のてんかん発作及び死亡との間の相当因果関係は認定できないことに帰する。

(五) 本件各暴行後の被告松浦及び同井上の注意義務違反の有無

原告らは、被告松浦及び同井上は、本件各暴行により亡浩司が受傷した後、診察に当たる医師に暴行の内容や受傷時の状況等につき十分説明し、医師と協議の上亡浩司の身体的、精神的状況に十分な配慮をなすべきところ、これをしなかった注意義務違反(重過失)があると主張する。

ところで、前記のとおり、本件各暴行の直後、亡浩司は、廊下に転倒し顎部挫創等の傷害を負っているが、右傷害それ自体が直接死の結果につながるものでないことは明らかといってよく、しかも、亡浩司は、転倒するや数秒で自ら立ち上がり、指導員室まで自力で歩き、その後、被告松浦及び同井上の説諭を受けたもので、翌朝以降も亡浩司の傷を案じた被告松浦及び同井上から「大丈夫か。」と質問されても、その度に、「大丈夫です。」と答えるなど、外見上亡浩司の身体に重大な異変が生じているとは思われない状況にあったもので、亡浩司にてんかんの疑いのあることを知らなかった被告松浦及び同井上としては、当時の亡浩司の心身の状態が特別な配慮を要するほどの切迫した状況にあるとの認識はなく、また、こうした認識を欠いていたとしてもやむを得ない状況にあったということができる。

結局、当時の被告松浦及び同井上に、自ら本件各暴行の内容や受傷時の状況等を医師に十分説明し、今後の対応等につき医師と協議するなど亡浩司の心身の状態に特別な配慮をすべき注意義務があったとまではいえず、被告松浦及び同井上にこの点の注意義務違反(重過失)を認めることはできない。原告らのこの点に関する主張は失当である。

3  「傷病発生調査」について

「傷病発生調査」は、学校内で生起した事故等によって生徒に傷病が発生した際に、傷病が発生した状況、傷病の内容、状態、治療費に対する給付金の払込先等を生徒(保護者)に記載させ、学級担任を経由して養護教諭に提出し、養護教諭において日本体育・学校健康センターから医療費等の災害共済給付を受ける目的で正式な請求書類を作成する参考資料として、学校が独自の様式で作成する内部文書であり、本件においては、右用紙に事実と異なる記載がなされたことは当事者間に争いがないところ、そのような事実に反する記載がなされるに至った経緯、特に記載に当たっての竹中校長、松永教頭並びに被告松浦及び同井上の意図のいかんは、証拠上必ずしも明らかでないが、動機、理由のいかんはともかくとして、学校で発生した生徒の傷病を正確に記載するのが当然であるはずの「傷病発生調査」用紙に、学校側の慫慂に基づき故意に事実と異なる記載がなされたことが証拠(原告優子本人)及び弁論の全趣旨により明らかであって、こうした学校側の対応は、不相当なものであったといわざる得ない。

4  小括

以上、詳細に検討を加えたとおり、被告松浦及び同井上の本件各暴行と亡浩司の受傷との間には因果関係が認められるものの、その後の死の結果との間の因果関係は認定することができず、また、被告松浦及び同井上の注意義務違反(重過失)により亡浩司を死に至らしめたということもできない。

三  責任

1 被告松浦及び同井上が本件各暴行の当時、被告県の公権力の行使にあたる公務員であったことは、当事者間に争いがなく、既に認定したとおり、被告松浦及び同井上は、それぞれその職務である教育活動(前記学級合宿研修はその一環であると解される。)の過程において亡浩司に暴行を加え、傷害を負わせたものであるから、被告県は、国家賠償法一条一項に基づき、被告松浦及び同井上の本件各暴行によって亡浩司及び原告らが被った損害(亡浩司の損害は原告らが相続)を賠償する責任がある。

2  なお、原告らは、被告松浦及び同井上の各個人についても、原告らに損害を賠償すべき責任がある旨主張するが、国又は公共団体の公権力の行使に当たる公務員が、その職務を行うについて、故意又は過失によって違法に他人に損害を加えた場合には、国又は公共団体が、その被害者に対して損害賠償の責任を負い(国家賠償法一条一項)、当該公務員個人は、直接被害者に対して損害賠償責任を負うことはなく、当該公務員に故意又は重大な過失があったとき、国又は公共団体は、当該公務員に対して求償権を有する(同法一条二項)にとどまるものであって、同法は、国又は公共団体による当該公務員に対する求償権の行使という方法でのみ当該公務員に責任を負担させる趣旨と解される。

したがって、原告らに対する被告松浦及び同井上の損害賠償責任を認めることはできない。

3  被告県の責任

(一) 治療費 合計四三〇〇円

亡浩司の本件傷害に関する治療費は、合計四三〇〇円と認められる(甲五の一ないし五、甲七)。

(二) 亡浩司の慰謝料 八〇万円

被告松浦及び同井上による本件各暴行が、学校教育法一一条但書によって禁じられている体罰に該当することは明らかであるところ(この点は明らかに争われない。)、右両名は、違法な体罰により亡浩司に本件傷害を負わせたものであって、右の事実並びに前記「傷病発生調査」用紙の虚偽記載などその他本件に顕れた諸事情を考慮すると、亡浩司の被った身体的、精神的苦痛に対する慰謝料の額としては八〇万円が相当と認められる。

(三) 弁護士費用 合計一〇万円

原告両名が、原告両名訴訟代理人らに本件訴訟の追行を委任したことは記録上明らかであり、事案の内容、右認定した慰謝料額、その他諸般の事情に照らし、本件の弁護士費用としては一〇万円をもって相当と認める。

四  結論

以上の次第であって、原告らの被告長崎県に対する請求は、主文の限度で理由があるからこれを認容し、原告らの同被告に対するその余の請求並びに被告松浦剛及び被告井上知紀に対する請求は、いずれも理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担については、原告らと被告長崎県の関係では民訴法八九条、九二条但書、原告らと被告松浦剛及び被告井上知紀の関係ではいずれも同法八九条を、仮執行の宣言につき同法一九六条一項をそれぞれ適用し、仮執行免脱宣言の申立てについては、相当でないからこれを付さないこととする。

(裁判長裁判官江口寛志 裁判官大島明 裁判官鹿島秀樹)

別紙〈省略〉

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例